詳細なプロフィール

詳細なプロフィール①_幼少期から、大学時代に軽いうつになるまで

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当ブログの運営者、ゆきです。
ご覧頂き、ありがとうございます。

私のプロフィールを全2回に分けてお伝えしていきます。
今回は1回目、幼少期から大学時代までの話です。

・詳細なプロフィール①_幼少期から、大学時代に軽いうつになるまで←今回はこれ
・詳細なプロフィール②_自信を取り戻すためにバイトを頑張り、プロポーズされて再び就職活動に挑戦

環境に恵まれて、大きな挫折をしてこなかった私ですが、大学時代には軽いうつになり、自己肯定感が著しく低い状態になります。

この経験は今の私の価値観をつくるのに大きな影響を与えた出来事です。

私のプロフィール

保育園に通っていた、泣き虫だった幼少期

私は共働きの両親のもとに一人目の子どもとして生まれました。2歳下には弟がいます。

保育園には2歳の途中から入り、食が細かったのが保育園に入ってからは食べるようになって安心したと母は言っていました。
しかし、背が低かったのは変わらず、大人になった今でも身長は低めの154cmです。

幼少期の性格は、おとなしいけど負けず嫌いで、すぐに泣く子でした。(これは今でも変わりません。笑)
すぐに泣いてしまうのがけっこうコンプレックスでしたが、今でも割りとすぐに感動して涙がでます。

中学校では演劇に夢中に

小学校・中学校ではまじめな優等生タイプでした。社交的な性格ではなかったので友達は少なく、仲良くなるのに時間がかかりました。(小学校の5年生でクラス替えをした後、休みの日に一緒に遊ぼうと約束する友達ができるまでに半年かかるくらい)

中学生のときは演劇部に入り、演劇に夢中になります。将来は役者になりたいという淡い夢も持っていました。2年生のときは部内のオーディションで主役に落ち、劇に出たのは黒子としてでしたが、練習をやりきったため悔いはありませんでした。

3年生のときは部長になりましたが、私が部長になると他の3年生は練習内容が嫌だとか、他の委員会の活動をやりたいと言って辞めてしまい、3年生は自分ひとりになってしまいました。(部内でどこのグループにも属さずにやってきた結果なのですが、いまこうやって書くと、絶望的に人望がないですね。笑)

その後、入ってくれた下級生たちと学期末の学芸会や、秋の大会を無事に終え、引退しました。しかし、大会での自分の最後のセリフに納得ができず、自分の力不足を感じて悔いが残りました。この挫折感から、もう演劇はやめて、高校では別の部活に入ろうと思います。

高校は行事の盛んな進学校に。受験もがんばった

高校は都立で、行事の盛んな進学校に進みました。中学までの地元の学校とちがい、東京の色々なところから生徒が集まってきていて、優秀で面白い個性が豊かな友達が多かったです。

体育祭や文化祭もクラス一丸となって練習をして本番に臨み、本当に楽しかったです。高校の3年間が小・中・高のなかで一番楽しかったです。(このときから、大勢で団結して1つのことをやるのが好きだったんだなと思います)

部活はバドミントン部に入りました。練習はまじめに出ていましたが、元来の闘争心のなさを発揮して、試合で一勝もすることなく終わりました。私は同じ学年どころか、下の学年にも負けるほど弱かったのですが、部活のメンバーはとても仲が良く、練習後はマックに入り浸って馬鹿な話をしてわいわい騒いでいました。今でも毎年忘年会をするほど、部活の友達とは仲が良いです。

高校2年生の冬から大学受験を意識しだしました。1年生のときに見学に行ったMARCHレベルの私立の女子大を第一志望にしましたが、高校になってあまり真面目に勉強しなくなった自分の学力では、模試の結果はD判定でした。

過去問を見ると記述式の問題が多く、解けなさ加減に絶望しました。私は世界史、現代文、英語の3科目で受けようと思っていましたが、すべてに記述式の作文の問題があり、その配点が高かったのです。

しかし幸い進学校だったので、熱心な先生方に泣きついて添削を頼み、少しずつ記述式の問題でも書けるようになっていきました。

3年生の時には「絶対○○大合格!!」と紙に書いて部屋の壁に貼って、人生で一番勉強した時期でした。

それまでの私は作文などの文章を書くのが苦手で、現代文も苦手でしたが、この受験勉強で現代文の苦手を克服し、作文にも苦手意識がなくなったことが、今こうしてブログを書いていることにつながっています。

もっと言うと、現代文の授業でエッセイを書いたことがあるのですが、作文に苦手意識がなくなったことで、自分でも意外と書けて、それをみんなで読んで感想を書いたのですが、何人にも褒められたので、意外と自分いけるじゃんと思って文章を書くのが好きになりました。

第一志望の大学へ。しかしサークルで挫折し、就活から逃げる

受験勉強を頑張った結果、第一志望の大学におそらくぎりぎり合格しました。

大学では英語劇のサークルに入りました。中学で部活を引退したときに「演劇はもうやらない」と決めていましたが、やはり劇が好きだったので、役者をやらないならいいかなと、新歓で楽しかったそのサークルに入りました。そこでは裏方としてメイクと衣装を担当することになりました。

サークルでは年に1度、他の大学と合同でやる大会があり、その準備期間の3ヶ月はほぼ毎日活動していました。そのためサークル内では濃い人間関係ができあがり、メンバー同士仲が良かったです。(今でも同期のメンバーで年に数回会います。)

私は2年生のときは主役の担当になったのですが、夜遅くまで作業して、部室に泊まることも多かったです。今思えば、ちゃんと家に帰ることもできたと思いますが、元々裁縫だったり工作だったり、物を作ることが好きだったので、自分の好きなことが活かせて、しかもそれが劇において重要な意味をもつということにやりがいを感じていました。

3年生になり、担当していた衣装とメイクの部門のリーダーを務めることになりますが、私はこの役割がうまく果たせませんでした。プレイヤーとして優秀でも、私は人をまとめたり、リーダーシップをとるのは得意ではありませんでした。後輩たちをまとめることができなくなり、同期の一人にリーダーの役目を補助してもらうことでなんとか大会は無事に終わりましたが、人生で大きな挫折をしてこなかった私にはこれは苦い経験となりました。

大会が終わってすぐに就職活動を始める時期になりましたが、自己分析ができませんでした。自己分析をやろうとすると、リーダーをする覚悟がなかった自分を否が応でも認めなければいけなくなります。覚悟がなく、準備を怠ったのは自分です。全ての原因が自分にあります。しかし、私はその事実に向き合うことを恐れ、挫折感でいっぱいのまま、自分と向き合う事から逃げていました。

就職活動が手につかず、自分に明るい将来なんてなく、自分は何もできない価値のない人間だと思うようになりました。毎日そんな思いで過ごすうちに、夜に一睡もできずに朝を迎えたり、電車で座っているときやふとしたときに涙が目からあふれるようになりました。おそらく、軽いうつだったのではないかと思います。勇気を振り絞って心療内科に予約を取りましたが、診察に行くのが怖くて連絡なしにキャンセルしてしまいました。

そんな状態なので、公務員試験を受けてみたり、やっと就職活動ができるくらい回復して面接に行っても受かるわけもなく、卒業を1年遅らせたくせに、内定を1つももらえずに大学を卒業しました。

このとき、自分には自信がないのだということがはっきりとわかっていました。この頃にはまだ自己肯定感という言葉を知りませんでしたが、自己肯定感が著しく低い状態だったと思います。

自分は、自分という割れた器に、また一から自信という漆を塗って重ねていくことでしか、自信を回復できない、と思っていました。

まとめ

今思い返すと、恐ろしいほどに周囲に甘えている大学生ですね…。過去の自分が恥ずかしいです。

次回は、この著しく自信がない状態から、バイトを頑張って徐々に自信を回復させていく話から、現在の会社に就職するまでの話です。

続きはこちら↓
・詳細なプロフィール②_自信を取り戻すためにバイトを頑張り、プロポーズされて再び就職活動に挑戦

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